出る杭から出た芽
チームの安全担当者にこんな話を聞いた。
安全の人「今ねぇ、女性の通勤時のスカートは膝が隠れる丈以上というルールにするって話が出てて。どう思う?」
私『えっ』 ←いつもスカート姿
「今部署ごとの意見集約中でまだ正式ではないんだけど」
『なんのために?』
「社会人として相応しい服装を、っていうことらしいよ」
『ちょっとそのルールは納得できない』
「だよねぇ、着る服なくなるよね 笑」
『それもそうだけど、それよりもイノベーションとかIT化とか言ってる割に、時代と逆行したルールすぎて。』
『そのルール決めたり意見集約してるのって男の人たちでしょ?なんで女性の意見も聞かないで、古い考え方でそんなよく分からないルールを決めるの??超ミニスカとか、パンツ見えそうな丈履いてるわけでもないし、常識の範囲内の丈でしょ』
「そうそう、中学生じゃあるまいし。スカート丈とか決めたらそのうち茶髪禁止とかヒール何センチまでとかなったりしてね。」
時代にそぐわない、自由度を下げるルールからはなにも生まれない。
みんな足並み揃えて一緒、よりも、個性を尊重して個人の強みを活かしていくべきだというのに、
ダイバーシティなんて言葉だけで、実際は宗教上食べられないものの配慮がなかったり、女性の服装を制限したり、出る杭は腫れものだったり (場所にもよると思うけど一般的には)。
腫れものに触れないのはその場しのぎのリスク対策でしかなくて、そのうち腫れがひいたとしても原因も分からなければ予防もできない。あるいは腫れがひかなくて気付いたら取り返しがつかないくらい重症化してしまうかも知れない。
ここで比喩した腫れものはつまり出る杭であってマイノリティであるんだけど、
彼らはこれからもっと強みになるし(経営側は強みにしていくべきだし)、世間的にも少しずつ認められてきた今、それはきっとビジネスチャンスにもなり得る。
出る杭から出た芽は、摘み取らずに育ててあげた方がいい。
環境が悪いのなら、適切な生育環境に整えるか移動させるかした方がいい。
モノづくりをしていれば成長できた時代からは確実に変わっているから (日本の話)。
新しい物や新しい価値を生み出すのは、これまでにない考えやこれまでにない組み合わせであって、
これまでと同じことをしていて、ある時ふとしたところからイノベーションが起こらないかな、なんていう考えは、
「街を歩いてたら運命の人とぶつかってそこから恋が始まるの♡」とか
「いつか宝くじが当たって億万長者になるの♡」とか
そういうのと同レベルの考えだってことに気付いてほしい。
新しいおかしなルールを決めただけでは、
「おしゃれしたから運命の人が声をかけてくれるはず♡」
「当たる売場で買ったし御利益のある神社にお参りしたから当たるはず♡」みたいなもの。
というわけなので、多様性を認めてダイバーシティを実現したいなら、スカートの丈を制限しないでください。
ルールを決める必要があるのなら、納得のいく理由に基づいたルールにしてください。
という話を、おっちゃんたちに訴えるつもり。
私は納得できないルールには従いません(叩かれるタイプの出る杭)。
名前を呼んで入場する
挨拶を返してくれない人がいる。
笑顔を見たことがない人がいる。
いつも忙しそうで話しかけにくい人、
仲良くなりたいけど変な距離感がある人がいる。
そういうネガティブな印象を持ってしまう人に話しかける時は、名前を意識するようにしている。
挨拶を返してくれないなら、『◯◯さん、おはようございます。』って言うし、
髪を切った人がいれば、『髪切ったんですね、◯◯さんに似合ってます。』って言ったりする。
仲良くなったら名前の意味や由来を聞いたりするし、
久しぶりに連絡を取る人には、必ず名前を入れる。
あなたに話しかけてるんだよ。
あなたと話したいんだよ。
あなたのことを知りたいんだよ。
そう思ってることが、名前を入れることで伝わる。
ここだけの話、実は何度か名前を呼ばない実験をしたことがある。
ほぼ全てで、距離感が縮まらずに疎遠になった。
逆に、タクシーに乗ったときに勝手に運転手さんの名前を探して、「◯◯さん」と話しかけたことがある。
仲良くなって料金を安くしてもらえたり、混雑する花火大会の穴場を教えてもらえたりした。
最近のメルマガやDMは(多分自動で)名前が入るようになっているものが多くて、
『心当たりのある方も多いのでは?』よりも、
『◯◯さんもこう思ったことありませんか?』の方が距離感が近くて、自分ゴトに落とし込める。
名前を呼ぶことって、相手の領域の入り口にあるカードリーダーに自分のカードをピッてするようなものだと思う。
「私が入ったよ、あなたと話したいからお邪魔します」って伝えて、「あぁ君か、どうも」って会話が始まるような。
ピッてしないで「あのー…」って入っていっても「えっと、なにか…?」って距離を取られてしまうし、
「勝手にお邪魔するよー」ってガツガツ入っていったら、(なんなんこの人)って思われてしまうし。
カードリーダーでピッてしたらデータベースからその人の名前が分かるように、
相手の名前を呼ぶのは、自分の名前や存在を認識させる方法とも言えるんじゃないかなと思う。
自分を覚えてもらうためにも、名前を意識して呼ぶ。
相手の心に入場記録を残してあげる。
今日は何人にピッてできただろう。
新しいプロモーションの形
通勤途中の駅に一ヶ月くらい前からフリーアンブレラなるものが置かれている。
急に傘が必要になったとき、自由に使って良くて、返却の必要もない。
企業の協賛で提供されているとのこと。
一度、傘を忘れてしまって利用したことがあるんだけど、傘を開くと企業のロゴが入っていた。
なるほどこれでプロモーションになるということらしい。
紙の広告を手で配るより宣伝効果はありそうだな、って思ったけど、置いている駅(あるいはお店)になにかメリットがあるのかなと気になって駅員さんに聞いてみた。
私『そこのフリーアンブレラって、なんで置いてるんですか??』
駅員さん「んー?置かせてーって言われたから、いいよーって言ったんだよー。」(ゆるい)
私『そうなんですね〜とても便利なので助かります!ここ人多く通りますもんね、企業の宣伝とかそういうのですかね?』
駅員さん「うーん、ボランティアみたいな感じかなー。」
つまりメリットは特にないけど、デメリットもないから置いてるってことみたい。
駅の利用者も助かって、簡単には捨てられなくて、何度も使える無料の傘を宣伝に使うっていいアイディアだなって思った。
話は変わって、以前東京でQRコードを被っている女子高生を見かけたことがある。
こんなの。
読み込むと何か団体のtwitterにアクセスするんだけど(詳細は忘れた)、
すごく斬新なプロモーションだなって感じた記憶がある。
こんなん歩いてたら気になって写真撮っちゃうし、その場でアクセスしなくても帰ってからでも、撮った写真からQRコードを読み取れる。
このデジタル化の時代、みんなスマホを見て歩いてる街中で、
手で配ってる広告や大きな看板、あるいは集合住宅へのポスティングはそれほど宣伝効果はないんじゃないかなって思う。
かと言って、完全デジタルにしてしまうと、無料アプリの広告、テレビのCMみたいに、場合によっては不要で煩わしさを感じさせてしまう。
多分、フリーアンブレラやQRコードの被り物みたいに、少しでもアナログ感が残してあった方が、受け入れやすいのかも知れない。
そして出来るだけ余韻が残るように、いい意味で中途半端に情報を見せると、その続きが気になって調べてしまう。
人は興味を持って初めて能動的になる。
一方的に与えられたものにほとんど興味は持たない。
いかに「もっと知りたい」と思わせられるかが、プロモーションする上で重要なんだと思う。
依存するということ
話の噛み合わない上司がいる。
噛み合わないだけで仲が悪いわけでも仕事がやりにくいわけでもないんだけど、
使ってる言語が違うんじゃないかと思うくらい噛み合わない。
その上司に
『◯◯さんって、アドラー男子って感じですよね』って言ってみた。
アドラー心理学的な生き方をしてる男の人のことを勝手にアドラー男子って呼んでるんだけど、その上司はまさにアドラーの考え方そのもの。
興味があって、
『仕事とか勝負事とかで"悔しい"って思うことってあるんですか?』って聞いてみた。
アドラー上司「どういうこと?」
私『相手が自分より出来るとか、知識があるとか、そういう劣等感みたいなものでモヤモヤしたりするのかなって。』
アドラー上司「なにそれ、"嫉妬"ってこと?」
私『一言にするとそれです。』
アドラー上司「ない。」
私『へぇ…じゃあどう感じるんですか?』
アドラー上司「別になにも。負けたら自分の実力が足りなかったんだな、ってそれだけ。」
アドラー上司「え、その嫉妬で、どうなるの?」
私『どうなるって…悔しいから自分も頑張ろう、って。』
アドラー上司「それで?」
私『えっ?』
こうやって話が噛み合わなくなっていく。
私『じゃあ悔しくてモヤモヤする感じって分からないんですか?』
アドラー上司「そういう上司は、遅刻したとき怒るんじゃない?」
(※寝坊して遅刻してもその上司は怒らない)
アドラー上司「俺は、依存はしない。依存するからその、もやもや?したりするんでしょ。」
ハッとした。
頼りきったり独占したがったりすることを依存だと思っていたのに、
その上司は、
自分と自分以外との間にあるギャップに感情を抱くこと自体を依存って言っているらしかった。
相手より自分が劣っていると感じるから嫉妬する。
自分ができることは相手もできると思い込んでいるから苛立つ。
対等だと思っていても第三者からの扱い方によって劣等感や優越感を抱く。
だけど実はギャップはただの個性の違いであって、
なんで出来ない/しないんだろう、と、否定や非難するものでもないし、
比較して劣等感を抱いたり競い合うものでもない。
違いは埋めるものではなくて、認め合い受け入れるもの。
依存ではなくて、共存。
やっぱりこの上司はすごいなと思った夜でした。
和菓子作り体験してみた
お菓子ってよく作るけど、ケーキとかクッキーとか洋菓子ばかりで和菓子って作ったことないなって思った。
じゃあやろう!ということで企画した「和菓子作り体験会」。
お店を昼間に開けてもらって、そこに和菓子屋さんの先生をお呼びして和菓子作り教室をして頂きました。
練り切りがなにで出来てるかとか、どうやって形作るのかとか、全然知らなかったけど、
一言でまとめると、とっても楽しかった!
あの独特な食感は、白あんに加えた餅粉と山芋ペーストが生み出していて、
その練り切りはとても乾燥に弱い敏感肌で、
温度でご機嫌が変わるからちょっと扱いにくい。
集中する私。
そして出来上がった和菓子がこちら。
4月なので桜と楓。
和菓子は季節感があって素敵。
また違う季節に企画したいなと思える会でした。
教えてくださった先生、
美味しい料理と場所を提供してくださったお店の方、
そして集まってくれた皆さま、
本当にありがとうございました!
次のイベントは5/13(土)鶏だらけの会です。
ご興味のある方は是非に♡
パルプンテ味の飴
人生ってドラクエのようなものだと思ってる。
敵を倒して、レベルアップして、世界を救うように、
ノルマや悩みを乗り越えて、成長して、社会に貢献していく。
その中で一番好きな呪文、「パルプンテ」。
何が起こるか分からない呪文で、
敵が全滅するかも知れないし、味方が全滅するかも知れない。
何かが現れて攻撃するorされたり、敵味方どちらも生き返ることもある。
みんな混乱することもあれば、時間が逆戻りすることもある。
毎日の生活は、自分が思っているようにはならなくて、不確実性を含んでいる。
人生そのものがパルプンテである中で、私はあえてのパルプンテを唱える。
いつも通らない道を通るのにあえて遠回りしたり、
電車で隣に座った知れない人に話しかけたり、
見たことも触ったこともないものを経験するために足を踏み入れてみたり。
ある人は「なんでもするよね」と言う。
またある人は「なにかおもしろいことあった?」って聞いてくれる。
あぁ、いろいろやってきたことに
興味を持ってくれる人がいるんだなって思った。
価値があるとかないとか、そういう難しいことはよく分からないし、あんまり私にとって重要ではないのだけど、
聞いてくれる人がいるなら話してみたらおもしろいかなって、
これもまたパルプンテかなって思ってブログを書くに至りました。
気分転換に飴を舐めるように、
小腹を満たせなくても空腹を紛らわすように、
パルプンテ味のキャンディが誰かに届きますように。