依存するということ
話の噛み合わない上司がいる。
噛み合わないだけで仲が悪いわけでも仕事がやりにくいわけでもないんだけど、
使ってる言語が違うんじゃないかと思うくらい噛み合わない。
その上司に
『◯◯さんって、アドラー男子って感じですよね』って言ってみた。
アドラー心理学的な生き方をしてる男の人のことを勝手にアドラー男子って呼んでるんだけど、その上司はまさにアドラーの考え方そのもの。
興味があって、
『仕事とか勝負事とかで"悔しい"って思うことってあるんですか?』って聞いてみた。
アドラー上司「どういうこと?」
私『相手が自分より出来るとか、知識があるとか、そういう劣等感みたいなものでモヤモヤしたりするのかなって。』
アドラー上司「なにそれ、"嫉妬"ってこと?」
私『一言にするとそれです。』
アドラー上司「ない。」
私『へぇ…じゃあどう感じるんですか?』
アドラー上司「別になにも。負けたら自分の実力が足りなかったんだな、ってそれだけ。」
アドラー上司「え、その嫉妬で、どうなるの?」
私『どうなるって…悔しいから自分も頑張ろう、って。』
アドラー上司「それで?」
私『えっ?』
こうやって話が噛み合わなくなっていく。
私『じゃあ悔しくてモヤモヤする感じって分からないんですか?』
アドラー上司「そういう上司は、遅刻したとき怒るんじゃない?」
(※寝坊して遅刻してもその上司は怒らない)
アドラー上司「俺は、依存はしない。依存するからその、もやもや?したりするんでしょ。」
ハッとした。
頼りきったり独占したがったりすることを依存だと思っていたのに、
その上司は、
自分と自分以外との間にあるギャップに感情を抱くこと自体を依存って言っているらしかった。
相手より自分が劣っていると感じるから嫉妬する。
自分ができることは相手もできると思い込んでいるから苛立つ。
対等だと思っていても第三者からの扱い方によって劣等感や優越感を抱く。
だけど実はギャップはただの個性の違いであって、
なんで出来ない/しないんだろう、と、否定や非難するものでもないし、
比較して劣等感を抱いたり競い合うものでもない。
違いは埋めるものではなくて、認め合い受け入れるもの。
依存ではなくて、共存。
やっぱりこの上司はすごいなと思った夜でした。